フエ宮殿美術館
■香り高き古都・フエで大きな収穫 2日目
フエ宮殿美術博物館
11. フエ宮殿美術博物館
3点の染錦手古伊万里の蓋壺
12.3点の染錦手古伊万里の蓋壺
ホーチミン市歴史博物館と同一の蓋壺
13.ホーチミン市歴史博物館と同一の蓋壺
 
中国風婦人図 蓋壺
14.中国風婦人図 蓋壺
 
フエ宮殿午門
15.フエ宮殿午門
 
陽刻文様のある鼎
16.陽刻文様のある鼎
午前11時20分発VN-254便にてフエへ向かい、1時間30分程でフエ空港着。 フエはベトナム戦争の激戦地としても有名ですが、この空港も当時アメリカ軍の手で造られたもので、野原に滑走路が一本だけの不思議な空港でした。

街中のレストランで昼食後、古都フエの中を静かに流れるフォン川を渡り、ベトナム最後の王朝であるグェン(阮)朝歴代の王宮を訪ねました。ちなみにフォンとはベトナム語で「香り高い」という意味ですが、言葉通りに美しい流れでした。

王宮内へ入る前に、フエ宮殿美術博物館を見学。(写真11)建物はかつて皇族が休憩に使っていた平屋建てで、内部に王宮で使用された調度品や工芸品が、ガラスケースに納められています。

そして、思いがけずここでも、3点の17世紀末〜18世紀初の染錦手古伊万里の蓋壺を見ることができました。(写真12)3点とも蓋は欠損していましたが、その中の1点は先日ホーチミンの骨董屋で見たものと同寸同柄でした。(写真13)残りの2点もしっかりとした作で、中国風の婦人を描いたものはあまり類品を見たことがありません。(写真14)(帰国後、九州陶磁文化館で写真を見てもらい、婦人像の壺は中国古伊万里ではとの結論になりました)

統一王朝であるグェン朝の成立は1802年でここの古伊万里とは時代が合いませんが、16世紀にはフエに勢力を持っていたというので、統一以前にこの地にもたらされ、今日まで伝えられて来たのかもしれません。

また、古伊万里輸出当時、オランダ東インド会社の商館はハノイ(当時のトンキン)に置かれており、そこを治めていたのは莫氏であるので、フエへはオランダ船ではなく中国の貿易船がこのような高額なやきものを運んでいた可能性もあります。

いずれにしても東インド会社の本拠地があったインドネシアは特別として、粗製磁器の輸出記録が多く残るアジア向けの古伊万里のなかに、ヨーロッパ向けと思えるようなものを多く見つけられたことは、今回の旅での大きな収穫でした。

王宮の内堀沿いを歩いて正門である午門へ到着。(写真15)北京の紫禁城を模したといわれるこの王宮は、ベトナム戦争でアメリカ軍の爆撃を受け、この午門と皇帝の玉座がある大和殿、いくつかの寺院を残して破壊しつくされています。午門は日本の援助などで修復が行われていましたが、城内の屏にはまだ銃痕が残っており、世界遺産に指定されているとはいえ、今後の修復が待たれるところです。

城内に遺された巨大な鼎(かなえ)に草木や鳥獣などの文様が多数陽刻してあり、やはり中国風ですがベトナムアレンジが効いており、非常に面白く感じました。 (写真16)(たまたま機内誌にかつてのフエ王宮の記事があり、華やかな時代が窺えました)

その後フォン川沿いのティェンムー寺院を見学し、ボートでクルージングを楽しみながら市内のホテルへ戻りました。

夕食後ホテル前の土産物店を覗きました。なかには古陶磁店もあり、古伊万里の染付芙蓉手皿などがありましたが、店側は中国との区別がついていませんでした。明治期の有田か瀬戸製の印判手の皿が数点あり、産地を訊ねたところベトナムとの返事が返って来ました。

ホーチミン-1-ホーチミン-2-フエチャンパ-1-チャンパ-2-
ハノイバッチャン-1-バッチャン-2-
器に学ぶ世界の古窯めぐりベトナム・伝世古伊万里の旅